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道徳心とは

モラルとか、倫理とか、道徳心。
自分を人間としてみた時に、著しく欠けている能力と思われる部分だ。
どこがっていうと、バチっと答えられないけど、その認識はある。
辞書によると、社会生活を営む上で、1人1人が守るべき基準。善と悪を判断して、善を行い、悪を行わないこと。
なんだそうだ。

能力が欠けていると言っても、他人から金品や財産を奪ってはならない事や、他人を傷つけてはならない事なんて、私にだって善悪は判断できるし、悪を行ってきたつもりなんて無い。

かと言って、極端なケースの話しをするつもりでも無い。
極端なケースというのは、自分が大事に育ててきた子供が病気で苦しがっていて、それが不治の病いで、死ぬよりも苦しい思いをしていて、お願いだから殺してください。
と、お願いされました。
ってケースがあったとして、それは殺しても、殺しあげれなくても、どちらでも後悔するし、親側はそんな運命に産んでしまって申し訳ないと自分を責めたりもするんだろうけど。
そういう極端なケースは、どちらを選んでも善であり、どちらも悪なんだろうけど、そこまでいかない場面の話しでの判断が、どーも私は人と違っていたりするようだ。
だが、一応は自分の中の倫理に従って生きているから、他人の倫理と違っていたとして、それを他人に指摘されても、何がイケナイのか分からない。

遡ること35年も前の話しになるが、自分が小学校2年生の時だったと思う。私は3月の末の方の生まれだったので、そのくらいの年頃では、約1年生まれが遅いというハンデは、それなりに大きいハンデである。
周りの子供と比較して、体も一回り小さい、飲み込みが遅いし、運動能力も低い。
そんな子供時分に、私は同じクラスの自閉症の子のお世話係をする事になった。なぜ、私がその担当に選ばれたのかは、今となっては知る由もない。
自閉症のその子は、サッカーで全国大会優勝経験もある武南高校サッカー部が蹴っていたボールが飛んできて、それが頭に当たってから障害者になったという話しを聞いた事がある。

自閉症と聞いていて、担任の先生からは、心の病いなんだと聞かされていたが、人と会話するというか、話しをする事は不可能。単語1つも話す事が出来ない。食事から、着替えから、下の世話まで必要で、ただのクラスメイトでしかない私には奇声をあげていても、それが何かのお知らせなのか、特に意味がないのかも理解する事はできなかった。表情だって、私には違いを察してあげる事は出来なかったし、視線を真っ直ぐする事もできない、斜視と言われるものか、そちらを本当に見ているのかも分からない状態の子だった。

その子の状態からも、またそうなってしまった原因からも、心を閉ざしてしまった病気ではなく、まだ頭蓋骨が柔らかい幼少期に強い衝撃を頭部に受けた事による脳味噌の損傷による障害だろうと思っていたが、まだ小学校低学年であった私達には、先生もその子の親も心の病気だと言い張っていた。

授業中に全裸で手を叩き、奇声を発しながら廊下を走りまわっていたのだから、健常者のクラスに入れるのは、その子にとっても不憫ではないかと思っていたが、ほんの数年前まで普通の子と同じ様に育っていた我が子を普通のクラスに入れたいという親の願望で、特殊学級や複式と呼ばれる様な特別クラスに入れなかったのかもしれない。

なんにせよ、私はその子の担当として、お食事や着替え、下の世話まで担当する事になった。
早生まれという理由なのか、基本性能の能力値が低かったのかは知らないが、他の子より全ての面で劣っていて、自分の事さえままならなかった私が担当になったのは、すごく重荷に感じていた。

私はすごく貧乏な家の子だったのだが、その自閉症の子は、ちょっとばっかり金持ちの家の子だった。だから、その子を学校終わりに遊びに連れ出してあげると、お母さんがお小遣いをくれたのだ。
当時、私は30円のお小遣いをたまにもらうという程度の小遣いだった訳だが、その子と遊ぶと私に100円。そして、その自閉症の子にも何か買ってあげてと100円。合計200円をもらえた。
30円の小遣いだと、30円のものを1つ買うか、20円と10円を1つづつ買うか、10円を3つ買うかという3つの選択肢しかない。必然的に40円以上の買い物は不可能になるか、溜め込むしか手立てが無かった。
だけど、自閉症の子と遊ぶと、選択肢が200円まで増えるわけだ。
ここで、うん? と思う人がいるだろう。
俺が頂いた小遣いは100円で、その自閉症の子の分が100円だから、自分が使えるカネは100円なはずである。
だけども、私の頭の中では、200円もらったとしか考えない。
もちろん、私が好きなお菓子を買って、その自閉症の子にも1クチ、2クチは分けてあげる。その子に自分と同じ物を買って1つをまるまる渡してもオモチャにして、ぶん投げるだけだから、私が食べているモノをクチ元まで持っていってお裾分けしてあげるという状態になるのだ。
ハイと1つお菓子をその子に渡せば、全てが土の上に落ち、お菓子が土に還るだけなのだから、私と同じようにお菓子を食べる事がムリなのである。

私の家は貧乏と言ったが、貧乏と関係あるかは知らないが、我が家には間食の文化が無い。お菓子を食べたいとねだれば、それはゴハンをちゃんと食べていないからだと言われるのがオチだ。いわば、間食・おやつを食べて、ゴハンが進まないなど言語道断。私はお菓子を食べる事に罪の意識を持っていた。それはジュースも同じ。ジュースを飲めば、腹が膨れて、ゴハンが食べれなくなる。だから、飲んではいけないものであった。幼少期は食が細く、他の子よりも体が小さかったから、そうなったのかもしれないが、オヤツを食べジュースを飲む事は私の中ではイケナイ事だった。
だから、たくさんのおやつを自閉症の子に食べさせてしまうと、きっとその金持ちの家の母親は素敵なゴハンをたっぷり作るんだろうから、オヤツで腹を膨らせてしまうと、せっかく作ったご馳走を食べてもらえず、お母さんはガッカリするだろうと、あまりオヤツを与えてはイケナイと気をきかせたつもりでもいた。

今、考えると、ムリしてお金を使わなくても、オヤツ代として使わなかった分のお金を母親に返せば良かったのかしれないとは思う。
だが、まだ小学2年生で、同学年でも頭の回転が悪い部類の私でも感じていた。オヤツ代という名の子守り代であったということを。

母親はオヤツ代という高額な報酬をエサにして、貧乏人の私を吸い寄せた。会話や排泄さえ出来ない息子が、純粋に友達として遊んでもらえない事など、逆に残酷なまでに純粋で正直な低学年の子供がするわけないと母親は知っていた。でも、親としては、同学年の友達と遊んでもらいたいとも希望した。
そして、ある日突然に健常者から障害者へと変貌した子供に疲れていて、ほんの少しの時間でも離れている時間が欲しい。そうでなければ普通の心を保つなんて難しい。

母親はオヤツ代というカネで、息子に同学年の友達と遊ぶ時間を買い、自分も健全な心を保つために、少しでも離れる時間を買った。
私はその母親の気持ちを汲み、毎日同学年の子と遊ぶ時間を捨て、カネを掴んだ。

もちろん、私の深読みしすぎで、母親側は純粋にオヤツでも食べればとカネを渡していたのかもしれないと思う人はいるだろう。だけども、実際に自閉症の子の家は立派な家だったが、中に入ってオヤツを食べなさいという事は無かった。それは少しの時間でも、息子と離れている時間を作りたかったのだという事だと思うし、家でオヤツを出せば現金を渡さずとも済むのだが、ただオヤツを出してもらうだけでカネが貰えないのならば、その子と遊ぶ魅力が無いので、私もその子と学校が終わった後まで遊ぶ事は無かったと思う。
正直、同学年の子がカクレンボやカンケリやらして遊んでいる輪の中に入りたかったし、でも自閉症の子は目を離すとどこかに消えてしまうので、常に手をつないでいて、他の子と一緒に遊ぶのはムリだったから、私はオヤツ代の為にそれをあきらめていた。

ちょっと前振りが長くなったけど
①ちょっと前まで皆と同じ様に健常者だったのだから、普通の学級に入れたいと思う母親の考えや気持ちは、学級という社会生活を阻む存在になったとして、倫理に欠けているのだろうか?

②お菓子代という名目で同級生を釣り、息子に同級生と遊ぶ時間を作ってあげたり、息子と離れる時間を作った母親は、モラルがないのだろうか?

③同級生と遊ぶという時間を捨て、100円・200円のカネに走った私は道徳心が欠如しているのだろうか?

④お菓子をオモチャにして無駄にするという事や、腹一杯になると夕飯が食べれなくなるという勝手な推測で、友達分として渡されたカネを我が物顔で自分のカネの様に使っている私は、人に後ろ指をさされる事をしているのだろうか?

… … …

言葉にしてみると、①〜③はいいとしても、④はちょっとダメな気がするな…。
自分のブログだから、自分の正当性を訴えたかったんだけど、ちょっと④は正当性を主張するには、ちと厳しいな。

話しが逸れたけど、気をとりなおして、言いたかった事を書いていくね。
道徳から外れているかも? という行いがあっても、両者の思惑が合致していて、ちょっとした問題が発生している部分を“カネ”によって解決しているのであれば、第三者から見て問題があったとしても、第三者がとやかくクチを挟むべき問題では無いのではないか? って事が言いたかったのですよ。

人によっては、そのお母さんが悪いとか、悪くないとか。
小学生のクセにイヤラシイ私が気持ち悪いとか、子供らしくないとか、いろいろ思うんだろうけどさ。
普通の家の普通の子は、たとえお菓子代をもらえても、毎日自閉症の子とは遊んであげないのよ。ツマンナイからね。子供は正直だから。
オレみたいに貧乏でカネに汚い、純粋じゃない考えの子がいないと、母親と障害者の子供が家の中で毎日長い時間過ごさなきゃいけなくなって、精神的にも良くないでしょ?

そして、その考え方は、老人や老人ホーム・介護施設の関係と全く同じ理屈。
そして、メンズエステのお客さんと、そこで働いているスタッフさん達とも似ている部分がある。
なんて言うんだろう。必要悪とカネの関係っていうんだろうか。

ちょっと今回はフィリピンと全く関係ない話しになっちゃいましたね。じつはフィリピンでマッサージ屋さんに客として視察行ってきて、そこで思うとこがあって、今回のテーマになりました。
フィリピンでのマッサージの話はまた次回ね。
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